あと少し頑張れる薬
整理してたら、、こんなん出てきました。
「あと少し頑張れる薬」
前の会社を辞める時、上司の若い女性から、、
お仕事の時に使っていた私のnameplateが入ってました。 思わずク.ス.リ.としちゃいました。
まぁ、なんてお茶目で可愛い! 素敵!
まだまだ頑張れる気がモリモリです。
ここの仕事場は、二男のところに越して来てから
探して就いたところでした。
ご縁あって、越してすぐにお仕事をいただき、、
次の引っ越しで辞めるまで約5年間、お仕事させていただきました。
定期を作り、電車通いも新鮮で、ウキウキ通っていました。
会社までの歩きも、通りの季節の花を見ながらで、
歩きも苦になりませんでした。
特に、会社近くになると、道路に面して、可愛くて素敵な花木が四季折々に咲いてるお家があって、
良く写真を撮らせてもらいました。
バラの咲く頃は、それは優しくてフワリとした花が咲いて、、下には愛らしい小花やガーデニングの小物を可愛く配されて、私好みで楽しみでした。
近くに、ブドウの木を境界沿いに、見事に育てている道を通るのもたのしみ、、ブドウの葉が青々とゆったりと広げ、境界一面がブドウの葉。
やがて、夏になると、マスカットのようなミドリの大きな実をつけるのですが、、収穫はされてなかったような、、。
会社に着くまでの花ウォッチングは日課に。
会社は大きく、300人も入れる社員食堂でのランチは、とても楽しいタイムでした。
(ずっと自営業だったため新鮮な体験!)
お弁当を持っていったり、メニューから選んだり、
おしゃべりしたり、、若い人たちの多い中、仲間に入れていただけて、毎日がハリのある日々でした。
仕事はもちろん、張り合いのある仕事でした。
ここの会社で初めての女性班長のチームに
初めから入れていただき、、新チームのアタフタと忙しいことも、、メンバーのいろいろありも、
チームとして、まとまっていき、チーム成績も認められるようになり、とてもやりがいのある職場でした。
班長は、数年前に亡くなられたお母さんと同年代の私を大事にしてくれました、、その分、私もできるだけのことはと頑張れました。
^_^、が、ある寒い冬のこと、朝のバス待ちの時、
なんだか?今日はちょっと?と思いながら出社した日、仕事場の朝礼後、、倒れたそうです。
気がついた時は、医務室。
幸い、ちょっと貧血だったくらいで心配はなさそうでしたが、ちゃんと病院に寄って帰りました。
実は、二男がインフルエンザで休んでいて、気になる日々が少し続いた週明けのことでした。
知らずのうちに、少し無理が溜まってたのでしょう。
病院に寄って帰宅してから、班長に連絡をしたら、
それはすごく心配してくださっていたことがよく分かり驚きました。
そんな事があつたりして、班長とはより親しくなりました。ある時、X Japanの「tears」の英語部分を調べていた時、質問したのをきっかけに、CDを貸してくれました。
「tears」、、感動でした!
X Japanは知ってました、、でも、曲は聞いてませんでした。過激なグループ、ぐらいにしか思っていませんでした、、(子育てな忙しい時代でしたのて)
それが、、感動で胸が熱くなり、なぜか涙まで、
何度も聴きました。
こんなにも素敵な曲だったの?
それから、バラードにはまり、そしてロックにも!
それから、しばらく夢中に聞いてました。
おりよく、X Japanの映画が公開され、ひとりで見に行きました。ますますファンになってました。
その後、ロンドンのウェンブリーでの公演が伸びたり、気をもんだりしながら新しいCDの発売を楽しみにしていました、、が、、
出るとおもっていたCDも なかなか発売にならず
最近は冷めてます、、曲ではなく、発売に。
いろいろ事情があるのでしょう、、、。
で、班長はドラムを習い始め、発表会にも行きました。班長の好きなグレイのライブにも2人で
アリーナに出かけました。
2回ほどご一緒したのですか、、昨年春のドラム発表会にも、ライブにも、コロナで行けてません
辞めた時、班長とふたりで良く食べ、良く飲みました! 今は、時折り、LINEつながりですが、、
思えば、、私も若かったなぁ、、。
不要不急の外出を避けているうちに、どんどん老化が加速して来てるようで、、焦ります。
「あと少し頑張れる薬 」
良い時に現れてくれました。
もう少し、がんばらんば。
いや、まだまだ がんばらんば!
いくつであっても、まだまだ これから!
がモットーです。