いつかは、、誰もが、この星にサヨナラを、、
離れている友と長電話をした。
年の始めに、大切な人を見送ったばかり、。
家にいるのが大好きなご主人だった。
いつ訪ねても、「おぉッ、。」と片手を上げて
ニコッ、と笑顔で迎えてくれた。
人によく、「バタヤンみたいね」と言われていた。
ほんとに、風貌も雰囲気も良く似ていた。
しばらく入院していたが、とにかく家を恋しがって
「 家に帰りたい!」と先生たちにお願いしたそうです。
帰っても良いよ、との許可が降りた時の笑顔に
看護婦さんもビックリ!
「こんなにも嬉しそうな顔をするんだぁ〜」と驚き、喜んでくれたそうです。
退院して帰ってから2ヶ月後には、痩せてしまっていた体重も戻り始め、食事も手作りのものを食べるようになっていき、、定期的に来てくれる介護士の先生や看護婦さんが見えると、いつもニコッと迎えるので、介護の先生も訪問を喜んでくださっていたとのことを聞きました。
お風呂も、奥さまと娘さんとの介助で家での入浴が出来、おトイレも付き添いをしてと、、随分と
自由な時間をすごせたようです。
退院は、コロナで自粛が始まった年の9月の事、、
その頃から、車で少し離れている娘さんが仕事の合間に来てくれるようになったそうです。
コロナ規制もあり、かなり積極的にお世話をしてくれたそうです。
家族を大切にされてきたご主人さまは、大好きな奥さまと娘さんのお世話で介助を必要とするものの、
認知症はなく、機嫌良く過ごされたようです。
彼女は私の引っ越し後、スグに訪ねに来てくれようとしましたが、、コロナワクチン接種があったりで反対され来ることが出来ませんでした、、当然ですが、、。
ご主人の回復の安心からか、彼女には気分転換が必要になっていたようです、、
それが秋になって、突然に娘さんとご主人から、行って来てもいいよとの許可があったのです。
11月半ば過ぎの一泊2日は、私にとっても、それは嬉しい時間でした、彼女はとても喜んでくれました。
(あの日の夕方、二人でみた、美しい赤い月、、)
12月始めに突然、誕生日を迎えました!と、奥さまと娘さんに囲まれ笑顔のご主人さまの写真がLINEで送られてきました、3人とも嬉しそうな明るい笑顔でした。
年が明けて、、遠方の息子さんたち家族も揃い、
賑やかなお正月を迎え、、その夜のこと、ノドの具合がおかしいと、救急車をよび、ちょっと行ってくるわ、とみんなに言って病院へ。
その時はみんな、誰もまた帰ってくると思っていたそうです。
病院で、楽になるや、、この時世、面会に行けなくとも病室のテレビ電話で、孫たちや、子どもたち、奥さまと、話しができたそうです。
が、数日後、、眠るように旅立たれたそうです。
いつも、" ありがとう、ありがとう!"と周りに感謝して、ニコニコ笑顔で接して、最後までいろいろ話して、、家族みんなと共に間際まで過ごされたとのこと。奇跡です!
こんなにも" 思いやり "に包まれ、愛情たっぷりな時間に関わりあっていた家族を思い、、感動でした。
LINEにストーブの上のお料理の写真が送られてきたので電話しました。電話で長話をしました。
ご主人さまが、ここに来させてくれたこと、、
楽しかったことを喜んでくれたこと、、
、、奥さまの喜びを、自分も喜んでいたこと。
彼女は言いました。
喜んで生きることをしたい!
喜びをつなげるような生き方をしたい!と。
そして、みおくりの歌が、、
竹内まりやの " いのちの歌 "だったと。
🎶 ほんとうに大事なものは隠れて見えない
ささやか過ぎる日々の中に
かけがえない 喜びがある 🎶🎶
🎶 いつかはこの星にサヨナラをする時が
くるけれど、、、" いのち"は継がれていく
💗この いのちに ありがとう 🎶💗