祈りの長崎 だから、荒野
8月9日、長崎原爆投下から、76年。
6日に、コロナワクチン接種。
その前後のお休みは雨降りだったので、、土曜ドラマ「だから荒野」を見て過ごしました。
原作、桐野夏生 「だから、荒野」
内容は何も知らずに、なんとなくシリアスな気分で見始めたドラマでした。
昨日は、このドラマのこと投稿するつもりでしたが、、なんのミスか、何度も保存が白紙になってしまい、、投稿できませんでした。
(だから、内容は、昨日とは違う形態になってしまいますが、、思いは記したいとおもいます。)
あれから76年、、コロナ禍もあり、すっかり、
広島、長崎の原爆のことに思いを馳せるゆとりのない?ご時世になってしまっています。
私は、このドラマの舞台が長崎であることも知らずに見始めたのですが、、長崎原爆投下の語り部の
一人の老人を通して、爆心地、長崎のことを知ることができました。
そして、その老人を通して、若い世代が語り継ぐ運動が確実に育っていくだろう様子が描かれていて、
静かだけれども、信念を持って生きる姿の尊さが
伝わって来ました。
ドラマ全体で、何度も現れる"爆心地に立つ少年"
その少年 = 語り部の老人 でありました。
物語の根幹にある、語り部の老人。
と、その老人と出会った悩めるひとりの主婦が、
一人の女性として"自立して生きる姿"がとても良く絡み、見終わって、勇気をいただけました。
祈りの長崎、、心に響くドラマをタイムリーに
見られたことに感謝します。
物語の始まりは、
妻として、母としての存在(そんざい)が、
存在(ぞんざい)に扱われていることに対する反発から
、、突発的に?起きてしまったこと。
人それぞれの思いは、それぞれの立場で、自分の都合で、正当化していることの多いことに気づかされました。
相手の行動が、わからない、、のではなく、
自分の気持ちで相手がどうあるべきか、勝手に
押し付けていることの多い現実。
その現実が繰り返され、、ある日、突然に事態が変化する。それでもまだ、自分を変えられない夫。
自分の気持ちよりも、相手の要求に応えてしまう妻であり、母である一人の主婦は、現実を逃げる。
どうせ、何もできない、、そのうちに降参してくると思っている夫。
主婦ではなく、一人の"女性"となり偏見の眼で見られることにも。
でも、老人に出会ってから、、自分に正直にまっすぐに頑張る姿は人ごとではない。
キッパリと覚悟を持って生きる姿は、ドンドン逞しく、どんどん美しく見えてきた。
そんな彼女の生きる姿が子どもたちや夫に伝わる。
最後のシーンで夫は妻に言う。
「 スゲェなぁ、、女って。
こんな縁もゆかりもない土地に、ぽぉ〜んと放り出されて、生きていけって、、
俺は、途方にくれるよ。
それを、面白がっているなんて、、スゴイよ!」
人の運命 ?
生きる課題 ?
魂とは ?
語り部の老人からの言葉を彼女が言う。
『 人間はみな、一人ひとりの荒野を生きている。
荒野を豊かな大地、、沃野にするのも人間だ。
ずっと生きてきたこと、
これから生きていくこと、、
だから、荒野、、、なのだ! 』
あれから76年の今、
「 だから、荒野 」に出会えたことに感謝します。
刈り取られても、逞しく芽をだす雑草