映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」
ゴッホの映画を見ました。
「永遠の門 ゴッホの見た未来」
、、ゴッホ展に出かけ、ほんとうのゴッホを見たような気になりかけた私にとって、この映画は感動でした。
「 永遠の門 ゴッホの見た未来 」
映画の中のゴッホ、見ているうちに、、ほんとうのゴッホのようにみえてきた。
俳優なのに、、あの自画像のゴッホ、そのものに
見えてきた。
、、ゴッホが亡くなったのは37歳という若さなのに、、まるで老人のような風貌。
けれども、絵を描く心は純粋そのもの。
素描の期間が長く、、油絵を描き始めたのは27歳。
1887年に37歳という生涯、、。
油絵を描いて、、たった10年間で あれだけの
作品を描いていた、、けれど、時代は、まだゴッホの絵を受け入れられていなかった。
樹の根っこを描いているシーンで、、その時代の
背景が見える。
ゴッホは、純粋に美しいと思う樹の根っこが、、
なにこれ?、、気持ち悪いと、通りすがりにの子どもたちや先生からも狂人扱いされる。
子どもたちから、石を投げつけられたり、、
絵に夢中になるがため誤解が生まれて、その地を追われたりするなど、、ゴッホの周りにゴッホを普通に受け入れる人はいない。
唯一、弟のテオが救い。
そして、ポール.ゴーギャンの存在。その彼と一緒に絵を描く暮らしもあったが、、画風というか、絵に向かう姿勢や、表現方法などの考えの違いから、、
短期間で終わりを迎える。
悲しみのゴッホは、自分の耳を切り落とし、届けてくれるよう頼むが、、それがまた、追い詰められる羽目になっていく。
神父との会話で、、「もしかしたら、、神は、、
時を間違えたのかもしれない。
未来の人々のために、神は僕を画家にした。」
孤独なゴッホが見つめるものは、、広大な景色、
豊かな自然だけ、、。
自分の表現が周囲に受け入れられない現実。
時代を変えるとは、大変な葛藤を抱えていく人生。
世間が認めていなくとも、弟のテオは、ゴッホの良き理解者です。
そして最後はテオの紹介で、美術愛好家のドクターの元で暮らす。
ドクターをモデルにして、話ながら絵を描いている
ゴッホの、、素直な気持ちのまま受け入れられている穏やかな顔、楽しげな会話、、絵を描くゴッホとモデルのドクターのとても素直な良い表情に出会えたことは救いで、、泣けました。
こんな平穏な時間もあったのだと、このシーンはとても和みます。
突然に37歳という若さで亡くなる?なぜ、との疑問が解けました、、子どもに銃で撃たれたのでした。
看病する尋ねるドクターに「だれも、、責めるな」と、撃たれて30時間意識のあったなかで、決して
少年のことも、事件のことも話さなかったという。
まるで、ガンジーのようです。
やはり、撃たれたガンジーも、「その青年を許せ」
であったことが重なりました。
ゴッホの深い精神性、人間性を感じ取ったヘレーネというコレクターのおかげで、今、深くゴッホに
出会えたことに感謝します。
ゴッホ展の後のこの映画、、より深くゴッホを知ることが出来たように思います。
ゴッホのことば
「 神は 自然であり、、自然は美しい 」
、、慰めてくれる自然🌿🌿
ゴッホ展と映画を見ただけから知った感想です。
ほんの少し、、上澄み部分だけの知識ですが、、
それまでの自分のゴッホに対するイメージが大きく
変わりました。
そして、映画から大切なことに気づかされました。
思い込みや偏見では、真実が見えない。
ゴッホの弟、テオの存在に感謝し、尊敬します。