敬老の日 おじぃちゃん、おばぁちゃん
今朝の緑地 木漏れ日の中で🌿
今日は9月の第3日曜日、、敬老の日。
敬老は、老人を敬うこと、と辞書にはある。
前期高齢者の私はすでに老人であるが、、まだ、
老人という意識がない昭和生まれの私。
昔、私がまだ子どもだった頃は、60代の人々は
誰が見ても老人らしかった。
あの頃は、家族も大勢いて3世代同居は当たり前の
時代。どの家にも、おじぃちゃんやおばぁちゃんがいて、、孫やひ孫もいた。犬やネコもいた。
今様のペットではなく、外にいる犬。家にも外にも自由にどこへでも行けるネコ。
家にはニワトリもいたし、小さな子どもの頃は馬もいた。馬は馬小屋がちゃんとあった。
朝日を浴びる今朝の草🌿
母家があり、離れがあった。
母家と離れは、広い板間で繋がっていた。
縁側のある母家や離れと違って、一段と低くなっていて庭へと出やすい高さ。
ヤマ側は板戸、南側はガラス戸。
東側は母家の縁側と、西側は離れの板障子戸で(下から板、ガラス、障子で明るくしっかりしていた)しきられていて、いつもは何も置いてなく、何かある時だけ使われる広い空間、今様に言えば多目的空間かな、、子どもながら、好きだった。
あの頃、冬は掘り炬燵、夏はプロペラがたの(今のようにカバーは無い)扇風機と団扇だけ。
けれども何も困らなかった気がする、、冬はツララができるほど寒かったはずなのに、それが季節の当たり前だった。
朝一番に雨戸を開け、神様や仏様に水をあげ、お湯を沸かし、掘り炬燵に炭火を起こす。それがおじいちゃんの朝の仕事。
私たち、孫が顔を洗って来た時には既に炬燵でお茶を飲んでいた、必ず、朝の梅干しひとつが日課。
子どもたちは、おじいちゃんの座る後ろの出窓台の下の引き戸をから、四角の大きな缶に入ったお菓子をもらうのが楽しみだった。
私は離れに祖父母や叔母さんのほうで、、兄や弟は母家のほうに部屋があった。
離れには、湯殿があり、夕方になると私はお風呂の湯を沸かすために薪を燃やしていた。
家族みんな、子どもでも、夕暮れは何かしら、それぞれすることがあった。
一年中、何かしら良く集まりがあり人が来ていた。それもお祭りのような宴会で、飲んだり食べたり、踊ったり、歌ったり、、賑やかだった。
父は5人兄弟の長男、家の跡取り、兄弟の集まりの時は子どもたちも従姉妹通し屈託なく遊んでいた。
、、懐かしい。
お祝いの席では、いつも宴たけなわで父は、袴をはいて黒田節を歌いながら踊った。上手だし、好きだし、みんなも待っていた。
父の兄弟、親族は仲が良く、お正月や春と秋のお彼岸、お盆と春と秋のお祭り、結構、一年中何かしら集まっていた。 おばあちゃんや母、女の人は台所仕事を忙しくしていた。
おばあちゃんの巻き寿司は美味しかった。
海苔巻きだけでなく、卵の巻き寿司も!
卵をたっぷり使い、四角い大きな銅の卵焼き器で、甘く厚めにやいた卵巻き寿司はみんなの大好物。
おばあちゃんの作ってくれた鍋いっぱいの甘酒も
美味しくて大好きだった。
今のように便利ではなかった時代なのに、手のかかるものも手作りしてくれていたんだ、、当たり前にしてくれていたんだ。大変だっただろうに、いつも楽しそうにしていた。
今朝のシュウカイドウのやさしい花🌿
今朝、枕元のアレクサが「今日は敬老の日です」と
敬老の日の説明を聞きながら、ふと、子供の頃のおじぃちゃんやおばぁちゃんを思い浮かべた。
自分はセブンティ。
充分に値する年齢なのに、気持ちはまだまだと思っている。
私にとっての敬老の日は、おじぃちゃん、おばぁちゃんを思い、感謝する日であって、自分では無い。
もう半世紀以上も前の思い出、、でも、昨日のことのように思い出すことができる。
おじいちゃん、おばあちゃんが一緒に暮らしているのが当たり前だった昔のこと、懐かしい思い出を。
今朝の空 見上げれば、天が開いている
大切な人々は、もう、目には見えないけれど、、
きっと、そばにいる!
そして、私は 見守られて生きている💗
ありがとうございます💕
敬老の日に、、『 感謝 』