人生はいくつでも、これから! その一、"コップンカ〜"
結婚が第二の人生なら、その後にくるのは老後?
子どもの頃は、結婚したら、そこの嫁ぎ先で一生を過ごすのが当たり前だと思い込んでいた私。
というより、そういう時代でした。
今のように、バツイチ、バツニがなんでもない時代ではなかったから、、。
おかげさまで、そのころは、子どもが小さい頃のお母さん方は、ほとんどが主婦であったり、家業のお手伝いであったりする態度で、、、仕事を持ってお勤めに出ている人のほうが少ない時代でした。
仕事をしていても、結婚を機に仕事を辞めて家庭に入るのがあたりまえの時代でもありました。
今から思えば、のんびりとした時代でした。
その時の子どもたちが親世代となり、子育てしている今は、共働きがあたり前!
お母さんが仕事してるのが当たり前の時代。
一般的には誰もが「生活する=仕事する」
時代です。年寄りでもです。
時代の流れは、いつのまにか、ゆっくりと確実に
常識をも変えてきました。
2000年問題ご存知ですか?
何かよくわからなかったけど、メディアは社会不安を煽っていた、、あれは、なんだったんだろう?
ときを同じく、なんとかの予言とか、わけのわからない不安感が漂っていた年の瀬は慌ただしい日々で
年が明けて、正月が開けたとたんに起こった青天の霹靂、、あれから、何年も無我夢中に年数が過ぎてゆきました。
まさかの坂、、それは、義父が亡くなってから起こり始めたこと。
人生には、上り坂、下り坂、まさかの坂があるそうです。
その、まさかの坂が突然にやってきたのです。、、あれから数年の間のこともなんだったのだろう、、と思うほど、わけのわからないことに振り回されました。
理不尽なことの連続。
今でも真相はわかりません、、、
でも、もう、そんなことは過去のことです。
ただ、その時、嫁ぎ先が安全ではなくなったこと。
居場所がないことはわかりました。
4人の子どもがいてもです。
跡取りは義弟家族に変わりました。
家を出るしか道はありませんでした。
私には、なんの資格もありません。
その年明けから、自動車教習所に予定して、
乗りたい車種まで話していた矢先のことで、、もちろん、自動車の免許もありません。
家を離れる前に、次の地へ行く前に、、
自分を表す何かの証明書を欲しいと思いました。
そして、タイでの タイ古式マッサージの資格を取りに出かけました。
いろいろあったことから脱出するための気分転換も必要だと思ったのです。
新たな出発をするために!
タイのワットポーでは、毎日、午前の部も、午後の部も受け、古式マッサージと、タイフットマッサージ、ハーブボールの講習を受け、一応、資格証明書をいただきました。
だからといって、それが身分証明書になるわけではないとわかっていましたが、自分に自信が欲しかったのでしょう。何かの仕事に繋げたかったのです。
今思えば、よくも、一人で行ったものです。
タイの学校とのやりとりも慣れないパソコンで申し込みをし、旅行会社も、あれこれ調べ、直接申し込みに行くなど、、何も知らないのに、やればできるとの思い込みの方が強かったのでしょう。
タイの飛行場に着いた時、アナウンスされるタイ語の何とも言えない、優しくて緩やかな音に、不安よりも期待ばかりがふくらみました。
タイで出会った人々はみな優しかった。
先生方も、にこやかで、大柄で、手も大きく、
優しいお人柄でした。
そんな先生がたの授業は、毎回充実していました。
今までにない体験で、学びの日々はあっという間でした。
食事も美味しく楽しかったですね、、
ホテルのモーニングでのひとときは、ほんとに幸せな時間でした。
朝、スクールまでの大通りを横切るのはスリルです、、通りに入ると屋台が並んでます。
目にするものみな珍しいので、今日のランチは?と見るのも楽しみでした。
夕方、通りのお店でのタイ料理はもちろん美味しい! もちろんレモングラスの効いたトムヤムクンも食べました。
、、、あ、思い出は尽きません。
フフ、、理不尽なおかげで、できた行動ですね。
今、思えば、、おかげさまで凄い素敵な思い出になってます。